黒シュナ・エマの日記

2014年3月31日生まれの黒ミニチュアシュナウザーエマとその家族の日記です

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夏休み自由研究企画! メアリー・カサット展

子供の夏休み自由研究の一環で、横浜美術館で開催されているメアリー・カサット展

cassatt2016.jp

に行ってきました。日本で約35年ぶりとなる、メアリー・カサット展。

美術素人の僕にとって、まとめるのがかなり難しい題材でしたが、やり始めるととても興味のわく人物でしたよ!小学生の自由研究に悩んでいる方、ご参考にどうぞ!

メアリー・カサットの生涯

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/af/Mary_Cassatt-Selfportrait.jpg

「自画像」(wikipedia) 1873年 メトロポリタン美術館

画家を目指すメアリー・カサット

日本では、それほどメジャーではない女流画家、版画家のメアリー・カサットですが、
アメリカに印象派を広めた人として、欧米では有名な画家です。

そんなメアリーは、1844年ペンシルベニア・ピッツバークにて実業家の父、母方は銀行業という裕福なカサット家に生まれました。

幼い頃からヨーロッパ中を旅していたからか、メアリーは美術に興味を持ち、ペンシルベニアの美術アカデミーに入学しますが、21歳になった頃、プロの画家になる決心をして、単身パリへ留学します。

パリに到着したメアリーは、パリでもっとも権威のある国立美術学校に入学しようとします。が、女性に厳しい時代の当時、門前払いされてしまいます。

そんなメアリーは、逆行に挫けず「美術館が私の先生」として、独学で主だった美術館で模写して画家としての腕を磨きます。

1868年パリ・サロン(官展)で初入選しますが、普仏戦争が勃発し、一旦アメリカに帰国します。その後、スペインのマドリードセビリアに滞在、プラド美術館にてバロック絵画のベラスケスやムリーリョ、ロマン主義ゴヤを熱心に研究したそうです。1873年の「バルコニーにて」は、これら巨匠たちの影響が強く出ているようです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f4/On_the_balcony_mary_cassatt.jpg

 「バルコニーにて」(wikipedia)1873年 油彩、カンヴァス フィラデルフィア美術館

 従来の高い写実性を用いながら、この時代にはめずらしい男女の感情ゆたかな描写の本作品は、高く評価されているそうです。

印象派との出会い

1874年「コルティエ婦人の肖像」がサロンに入選します。後に画家としての感性を生涯にわたって高め合うことになるエドガー・ドガが、サロンに訪れた際、この作品を目にし、「私と同じ感性を持つ人がいる」と友人に告げたという逸話が残っています。

同じくこの頃、メアリー・カサットは画廊のショーウィンドウで見かけた一枚のパステル画を見かけ、友人への手紙にこう書き記しています。

「私はウィンドウに近寄って、そこに鼻を押し付け、彼の美術から吸収できるものをすべて吸収したものです。

その絵が私の人生を変えてしまいました。私はその時、私が見たいと思っていた芸術を見たのです。」

 運命の出会いとはこのことですかね。

その後対面を果たしたドガに誘われたメアリー・カサットは、サロンを離れ印象派とともに展覧会に出展するようになります。

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 「桟敷席にて」1878年 油彩、カンヴァス ボストン美術館

メアリーの画家としての開花

1880年、90年代は、メアリーの画家としての才能が存分に発揮される時期となります。

フランスでも一流画家として認められるようになったメアリー・カサットは、家族や親しい人たちをモチーフにすることで、その才能を発揮したようです。

「母子」や「子供」をモチーフにした一連の作品は有名です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ea/Cassatt_Mary_Children_on_the_Beach_1884.jpg

「浜辺で遊ぶ子どもたち」(wikipedia) 1884年 油彩、カンヴァス ヒューストン美術館

 

Mary Cassatt - The Family

 「家族」(http://blog.livedoor.jp/1891年 油彩、カンヴァス クライスラー美術館

 

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「林檎に手を伸ばす子供」(http://blog.livedoor.jp/1893年 油彩、カンヴァス バージニア美術館

 

浮世絵をリスペクト

ジャポニズムという言葉がありますが、19世紀中頃の万国博覧会をきっかけに、浮世絵や琳派(りんぱ)などの日本美術が、フランスを席巻します。

規定にとらわれない印象派たちは、浮世絵の鳥瞰した大胆な構図や輪郭に縁取られた平面的な彩色に多大な影響を受けました。

メアリー・カサットもこれまでの画風とは一線を画する絵画をいくつも描いています。

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「湯浴み(たらい)」(http://blog.livedoor.jp/) 1890年 ドライポイント アメリカ議会図書館

 

 

特にメアリー・カサット展では、参考にしたという浮世絵とともに見比べることができて、なかなかおもしろかったです。

 

多忙でクリエイティブで多難な後半生

これまで酷評されていた印象派も擁護されるようになり、メアリー・カサットも数々の
名作を生み出していきます。メアリー・カサット展では、絵画だけでなくこのころの版画も数多く展示されています。20世紀になったころ、兄のアレクサンダー(当時ペンシルベニア鉄道の社長)の死にあい、再び筆を折ります。
(1度目は、姉リディアの死)

三度筆を取ることになったものの、目ありは、糖尿、リウマチに悩まされ、視力もほとんど失ったメアリー・カサットは1914年を最後に筆をおいたそうです。

1917年、運命の人ドガが、アトリエで倒れそのまま急逝。

メアリーも1926年に82歳でその人生の幕をおろします。


最後に

メアリーは、こんな言葉を残しています。

「私は自立している。

ひとりで生きていくことができ

仕事を愛しているから。」

 日本語でいう男尊女卑の時代、有名なウーマンリブ運動もメアリーがなくなってから30年後のことですから、当時女性が「自立している」と発言の重みがひしひしと伝わります。

 

ですが、現代においても男女問わず心に留めておきたい言葉ですね。