黒シュナ・エマの日記

2014年3月31日生まれの黒ミニチュアシュナウザーエマとその家族の日記です

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映画「駆込み女と駆出し男」と時代考証

アマゾンプライムで、「駆込み女と駆出し男」という映画を見ました。

大泉洋戸田恵梨香満島ひかり堤真一樹木希林などなど実力派豪華キャストによる迫真の演技もさることながら、演出も時代劇特有の固さがなく、江戸前の小気味よい言い回しでテンポよく、ユーモアあり涙ありの、久々に見てよかった、と思える映画でした。

 

駆込み女と駆出し男

 

題材が東慶寺という鎌倉のお寺で、たまに訪れる場所だからという親近感もあったとおもいますが、全体に脚本がしっかりしていて陳腐さがないです。

ただ、この映画テンポがいい反面、説明無しの伏線回収なしでどんどん進んでいくんですよね。すこし時代背景を知ってからみたほうが面白みが増すんじゃないかとおもいまして、歴史を絡めながらネタバレ回避で紹介します。

 

舞台は鎌倉・東慶寺

江戸時代、幕府公認の縁切寺として名高い尼寺の東慶寺には、複雑な事情を抱えた女たちが離縁を求め駆け込んできた。女たちの聞き取り調査を行う御用宿・柏屋に居候する戯作者志望の医者見習い・信次郎(大泉洋)は、さまざまなトラブルに巻き込まれながらも男女のもめ事を解決に向けて導き、訳あり女たちの人生の再出発を後押ししていくが……。

解説・あらすじ - 駆込み女と駆出し男 - 作品 - Yahoo!映画

 作中の時代は、江戸時代後期(天保十二年:1841年)です。

「世間の夫は妻を勝手に離縁してもいいが、妻はそれができない。どうしても離縁したい妻あるいは妾のために、東慶寺様があり、この御用宿があるのです。」

江戸の時代、離縁状は夫から発行されます。が、妻に執心する夫はそれを出さない。そんな女性救済の目的で幕府から全国で2箇所だけ認められた縁切寺のうちの1つ鎌倉・東慶寺が舞台です。

天保の改革まっただなか

作中の時代の少し前、天保八年(1837年)将軍徳川家斉は退隠し大御所となり、家慶が将軍職につきます。そして天保十二年(1841年)に大御所家斉が死去、時の水野忠邦は自分の取り巻き以外を粛清し、人材を刷新、幕府各所に綱紀粛正と奢侈禁止(いわゆる風紀取締りと贅沢禁止令)を発令しました。世にいう天保の改革です。

冒頭で、女性芸人(女浄瑠璃)達が裁きを受けていますが、当時歌舞伎含め舞台役者は一斉に取締を受けました。

また江戸時代は現代のライトノベルというべき「戯作(ぎさく)」が流行しましたが、これも風紀を乱すという理由から焚書の憂き目にあっています。全編を通して、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の連載が危ぶまれていますが、そういう背景があったわけです。

なお、この悪法ともいうべき天保の改革の実行犯が、北村有起哉演じる南町奉行「妖怪」こと鳥居耀蔵です。鳥居は、あの時代劇で有名な「遠山の金さん」こと北町奉行 遠山左衛門尉景元を蹴落としたりしています。

東慶寺の格

いっぽう鎌倉の東慶寺ですが、寺の縁起はとても古く、鎌倉時代北条時宗の時代とされています。さらに、後醍醐天皇の皇女用堂尼が住持(住職)を勤めたことや、豊臣秀頼の娘の天秀尼が、徳川家康の孫の千姫の養女となって住持を勤めたことで、御所様、松岡御所などと呼ばれた特殊な格式のあるお寺でした。

劇中で信次郎(大泉洋)が「御所寺」とか「権現様のお墨付き」といった口上を述べるシーンがありますが、そういう背景があるんですね。

東慶寺の縁切り法とは

縁切りしたくて駆け込んだ女性は、まず御用宿で聞き取り調査を受けます。身元がはっきりわかったら駆け込み人の親元、名主、夫方にそれぞれ飛脚を立てて呼び出します。この時点では、まだ寺としては内済離縁、つまり示談を勧めます。

夫方が呼び出しに応じない、または離縁状を書かない場合に出家して24ヶ月間寺にこもるという寺法離縁に突入します。寺法離縁になっても離縁状を拒むと逆に寺社奉行のお裁きが下るので、必ず離縁成立となるわけです。

なぜ24ヶ月かというと当時足掛け3年一緒に暮らさないのは別れたも同じという慣例があったからだそうです。

これらの仕組みを整備したのは、劇中に出ている院代 法秀尼といわれています。法秀尼も水戸藩の姫でした。

 

事情を抱えた駆込み女たち

さて、前置きが長くなりましたが、そんな歴史背景を頭に入れながら一度見た人はもう一度見てみてください。

はじめての人は、映画の導入部分をちらりと、どうぞ。

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舞台の鎌倉・東慶寺の山向こうにある、七里ヶ浜で練鉄屋、平たく言えば鍛冶屋を営む重蔵(武田真治)の妻じょご(戸田恵梨香)は、重蔵の昼間から飲む、女郎遊び、暴力などに耐え日々錬鉄屋を営んでいましたが、女郎の言葉から、縁起寺・東慶寺の存在を知ります。

限界に来たある日じょごは、夜更けに村の道祖神に出向き、「六郷の崖で飛び降りか、東慶寺に行くか、いま来た道を戻るか」と願掛けをし、結果東慶寺へ向かいます。

 

いっぽう日本橋で大商いをしている唐物問屋の妾であるお吟(満島ひかり)は、
旦那の堀切屋三郎右衛門(堤真一)やその他遊び仲間と普段通り接しながら、突然
「荷下ろしの様子を見てくる」と言ってそのまま籠を走らせ東慶寺を目指します。

お吟は追手を振り切りながらも負傷したところ、通りかかったじょごとともに、東慶寺を目指しますが、山門の手前でさらに追手を振り切りつつ、2人はなんとか駆け込み成立を果たし、御用宿そして寺での生活が始まるのでした。

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しっかりした脚本や小気味のいい言い回しは先に述べたとおりですが、戸田恵梨香演じるじょごの出生そして素朴さに、みていてとてもほっこりします。

それから、満島ひかりの江戸女っぷりが、粋でかっこよく、すこし前に見たカルテットの世吹すずめとは全然ちがう役作りに驚きです。やっぱり満島ひかりはすごかった!(カルテットの2年前ですけどね。)

ちなみに、満島ひかり演じるお吟の駆け込み理由ってのが、これがまた...。

戯作者で医者見習いの信次郎が、窮地に立たされれる各所で口上で逃げ切るという、大泉洋そのまんまというべき役のハマりどころも見どころです。

 

この映画、見ればみるほど発見するところが多そう。ほんとお薦めですよ。