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黒シュナ・エマの日記

黒ミニチュアシュナウザー・エマ と、2児のイクメンとその家族たちのブログです

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夏休み自由研究企画! 世界遺産登録された韮山反射炉

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自由研究のネタ探し、どうしていますか?

幕末ブームのいま、世界遺産登録された「アレ」なんかちょうどいいのではないでしょうか?

 

この間の家族旅行の際に、世界遺産 韮山反射炉に行ってきましたのでサワリをご紹介したいとおもいます。

気になる点を深堀りしてみてはいかが?

 

 

明治日本の産業革命遺産全般をテーマにするパターン

今回登録された、「明示日本の産業革命遺産」全般をテーマにする場合、この世界遺産登録は、8つのエリア、23の施設等からなる世界遺産登録なので、結構ボリュームがある研究になるとおもいます。

以下、表を参照下さい。

 

エリア サイト 構成資産
萩の産業化初期の時代の遺産群 反射炉
恵美須ヶ鼻造船所跡
大板山たたら製鉄遺跡
萩城下町
松下村塾
鹿児島 旧集成館 旧集成館
寺山炭窯跡
関吉の疏水溝
韮山 韮山反射炉 韮山反射炉
釜石 橋野鉄鉱山・高炉跡 橋野鉄鉱山・高炉跡
佐賀 三重津海軍所 三重津海軍所
長崎 長崎造船所 小菅修船場跡
三菱長崎造船所 第三船渠
三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン
三菱長崎造船所 旧木型場
三菱長崎造船所 占勝閣
高島炭坑 高島炭坑
端島炭坑
旧グラバー住宅 旧グラバー住宅
三池 三池炭鉱と三池港 三池炭鉱と三池港
三角西(旧)港 三角西(旧)港
八幡 官営八幡製鐵所 官営八幡製鐵所
遠賀川水源地ポンプ室

 

各地に点在する史跡がなぜ一式として登録されたかというと、

日本は、植民地にならずに非西洋諸国で初めて産業革命の波をうけ、僅か50年余りで自らの手で産業化を成就したことが評価され、世界史における類なき局面を証言する遺産群として、世界遺産に認定されたとのことです。

 

これら史跡の概要を調べて、産業革命をテーマに共通項などを探ってみるとおもしろいかもしれませんね。

 

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台も世界遺産登録に 

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中には、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の街 ”萩”の松下村塾や城下町なども登録されています。

いまきっと萩は大河ドラマフィーバーと世界遺産フィーバーですごいことになっていると想像します。

 

先日、NHK松坂慶子さんが萩の町並みを紹介してましたが、萩では武家屋敷の塀がそのまま残され、その中に学校や球技場が建設されているそうです。

 

個別の史跡を深堀りパターン

世界遺産登録されている史跡の1つを深堀りするパターンもありますね。

今回の旅行で訪れた韮山反射炉について、ガイドさんに聞いた内容+αをご紹介します。

 

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photo credit: Nirayama reverberatory furnace (韮山反射炉) via photopin (license)

韮山反射炉建設の背景など

幕末、列強からの圧力による危機感から大砲鋳造のため全国各地に反射炉が建設されました。

全部で11基建造されたそうですが、現存するのは3つ(萩、韮山(伊豆)、鹿児島)です。

なお鹿児島の旧集成館にある反射炉は、薩英戦争の際に焼失・撤去されていて、土台のみです。

 

訪れた韮山反射炉は、3つのうち唯一の実用炉だそうですが、当時の韮山代官 江川英龍が上申して建造決定、息子の江川英敏が築造を進めたものだそうです。

 

完成は1857年。 この3年前の1854年に、ペリーによる日米和親条約が締結され、日本に激動が走った時期ですね。

 

完成の年1857年は、吉田寅之助(吉田松陰)が松下村塾を開塾した年でもあります。

 

こういった建築時期の周辺歴史動向を並べるのも面白いですね。


反射炉を必要とした理由

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反射炉は、前述のように危機感を感じた諸藩が、各地で建造を計画したわけですが、鎖国状態の当時としては外国技術者を呼ぶわけにも行かず、オランダの技術書などを見ながら、見よう見まねで建造したそうです。

 

見よう見まねでこれだけのものを建造する根性もすごいですが、そもそもなぜこの時期に反射炉を必要としたのでしょうか?

 

実は、日本の近海に突如現れた外国船は2000㌧。当時の日本の船は大きくて100㌧程度で、その戦力差は歴然でした。

 

また外国艦船砲撃事件を起こした長州で実証されたように、沿岸に設置された日本の大砲では外国船に届きもしません。

 

そのため当時の日本の主流である青銅製の大砲より、安価で耐久性にすぐれ、精度の高い大型の鉄製大砲が必要となったわけですね。

 

ですが、その鋳造技術で大砲の砲身を鉄で製造しようとすると、材質を均一にできないため、発砲の際、砲身の破裂など、暴発が多発していたようです。

 

そこで大型鉄製大砲の製造を可能にする反射炉が注目されたわけです。 

 

反射炉の構造

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反射炉は、燃焼室がドーム状になっていて、壁面に沿って(反射して)炉の湯(溶解した液状金属)に均一に伝えることができます。

撹拌作業でも湯全体をしっかり混ぜることができる構造なので、不純物などを取り除く精錬作業に向いています。

こうやって、鋳造された砲身の材質も均一にできたんですね。

 

史跡に関わる人物パターン

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最後は、史跡に関わる人物を研究するパターンです。幕末の有名人は、一次資料も豊富なので、研究はあまり苦労しないかもしれませんね。

また、遺品や功績などが現存していることも多いので、結構面白いとおもいますよ。


韮山反射炉に関わった江川英龍

反射炉の必要性を訴え、建造を決定させた江川英龍は、伊豆韮山ではいまでも慕われている大人物です。

江川家は鎌倉時代からの歴史を誇る家柄であり、代々韮山代官を務める家系、父の英毅が長命ということもあってか、江川英龍はかなり交友が広く、とても博識だったようです。

 

蘭学に通じ、長崎にわたって近代砲術を学ぶと、さらに改良した西洋砲兵術の普及につとめ、全国の藩士に教育しました。

 

門下生には、佐久間象山大鳥圭介橋本左内桂小五郎などがいます。

 

韮山反射炉に先立ち、品川台場(いわゆるお台場ですね)の築造にも携わってます。

その他、いくつか功績をあげてみますと...


・日本で最初にパン(堅パン)を作った(小麦粉と砂糖だけのパンのようで、恐ろしく固かったらしい)
・日本初の西洋式軍隊を組織した。気をつけ、右向け右、回れ右などは、英龍が始めたものらしい
・農兵政策を勧め、のちの新選組土方歳三江川英龍の農兵構想を学んだといわれる

 

まとめ

今回は夏休み企画 自由研究ネタ探しとして、

  • 明治日本の産業革命遺産全般を調べるパターン
  • 史跡1つを深堀りするパターン
  • 史跡に携わる人物を研究するパターン

をご紹介してみました。

調査しながら、「へぇ~」と思うこと多々あり、きっと知識欲求に火をつけることでしょう(・∀・)